世界から猫が消えたなら 感想

世界から猫が消えたなら
1週間で主人公はどう生きるかが幸せに繋がると考え、定義した。彼は誰かから何かを奪って生き残ることは幸せではないと。彼の中に奪うことのラインがはっきりとして、それを超えることは苦痛になったんだろう。というより自発的に何かを奪うことの苦しみによって、そこに無理矢理気付かされたのか?

自分で気付いたのではないからこそ、最後に悪魔に、自分はこれで良かったのか?などと聞いていたのだ。自分で定義したならそれで良いに決まってる。つまり自分で定義したわけではなかったのだ。

実際に考え抜いた人間が死ぬ前に自分の定義を疑うことがあるとは思えない。ただこれを考え抜ける人間は少ないし、主人公が1週間でそこに辿り着けるわけはないからこれで良かったのだ。大衆ウケもするし。

死ぬ前に大切なものに気付く、ってのは死ぬ前に自分で考えるからなのかな。あとは失いそうになることでも考えるからか。
だから大切なものについてしっかり考えたことのある人なら死ぬ前に特別大切なものに気付くってことは起こらないと思う

考えてはいなかったけど実は大切だった、みたいなのが感動ポイントなのか。

誰かのためになることがしたい、について

人がよく使う、誰かのためになることをしたい。ってのはそうすることで自分の価値が認められたい、自分が喜びを得たい、ということだと思う。他人が喜ぶことで自分も嬉しい、というのもこれに当たる。
本人が自覚があるにせよないにせよ。

誰かのためになることをしたい。と思想が変化する(隠れている)理由には文化的背景をあげたい。そうすることが善であると教育されるからだ。

エンダーのゲーム 感想

書かれている通り、そのままのことが伝わってきた。そんなような感覚。エンダーの心情が読み取れたんだと思う。
天才の苦悩がわかりやすく書かれている。
エンダーが凡人の視点も考えられるほど共感性が高いため。
彼は凡人に受け入れられようと試みて何度か失敗した。彼の天才性ゆえに。おそらく。それを受け入れて欲しかったのだ。受け入れられる人間は多くはないが彼は探していたのだろう。
とても人間味がある

ヴァレンタインがエンダーを愛し、ピーターに本心からの協力をすることに、優しさを通り越して狂気を感じた。彼女もまた利己性を有している。けれども考えてみれば彼女も子どもであり自分の気持ちが変化することなど当たり前だ。

ポケモンユナイト、流行るのかどうか

まず気になった点

ビルドシステムなし
→結局、強いビルドは決まっていてそれに終着するならいらないということ?
もしくは単にカジュアルにしてとっつきやすさを上げるために追加していない
でもAD(攻撃力)、AP(魔力)特化ビルドの様なものがないのはつまらないし、独自のビルドを作る楽しさは得られないのか

ビルドシステムなしってことは全員スキルダメージによる戦闘なのか?それとも攻撃力が強いキャラ(格闘タイプ)とかが用意されているのか
→映像では、攻撃力の値とかキャラによってもちろん違うらしくて、通常攻撃でダメージ出してるキャラもいた
ちょっと期待

レーン、ジャングルなどの役割は分かれてなさそう、
タンクとか、火力役とかはありそう
→現状のスマホMOBAよりカジュアルに

テンセントとの共同開発
→現状最高のMOBA作ってるRiot Gamesの親会社
ただ、LOLとか伝説対決とかのUIって日本人に好まれない印象、動きが重いからかな?
伝説対決も日本じゃ流行ってないし


勝敗要素は
AoE(範囲ダメージ)を上手く決められるか
より効率よく野良ポケモンを狩れるか
カイト(引き打ち)で一方的にダメージ与えられるか
弱ってる敵を倒し切れるか
チームで連携する
らへんですね、この辺は従来のMOBAと一緒か
細かい条件が出ないとなんとも言えないけど

Q.ポケモンユナイトは流行るのか?

A.スマホMOBAの中では流行る、世間で大流行とかはしない。

ポケモン好きな層とMOBA好きな層の二つから見て考える。
結論を言うと、ポケモンが好きな層にMOBAがどれだけ楽しまれるかここに全てがかかっている。
MOBA好きな層にすると、スマホMOBAは日本では現状どれも似たり寄ったりなので頭一つ抜けるクオリティのものを出せば、もちろん彼らはプレイする。でなくても同程度のクオリティならポケモン知名度によりある程度スマホMOBAとしては成功するだろう。
クオリティが低いとプレイされない
自分としては同程度ののクオリティで出ると思うので(映像から見ても)、ある程度は成功すると予想
ただ、MOBA好きな層は元々母数が少ないので、今現在MOBAは流行っているとは言えないのだ。つまりポケモン層からの流入がなければ現状は変わらない。

ポケモン好きな層とMOBA好きな層は被っていない。少しカジュアルになったところで、ゲームの性質は変わらないし、これを機に始めたユーザーがMOBAにハマるとは思えない。
MOBAは1試合に時間がかかるし、爽快感を得るのも難しいので万人受けするゲームではない。
よってMOBAの人口が少し増えるという結果に落ち着く。大流行とかしない。
ただ、MOBAが少しでも広がる機会を作ってくれた任天堂ありがとう

思考の精査、メモを取らないこと

自分は今この瞬間まで、思考してそれをすぐにメモするという行動をとってきた。しかしそれは逆に思考の放棄ではないかと考えた。
考えたことを脳に留めずに、外に吐き出すという行為は一見思考しているように思えて、その思考は精査されていない。
真の思考とは呼べないのではないか。
その結果、メモの量は膨大になるが、価値の低い文章(情報量が少ない)しか生まれない。
もちろん書き出すことで思考が整理されるのは真実だ。その前に精査があるべきだと感じた。
この文章は拙いなりにも精査してから一気に書き出したものだ。

ワンパンマン 感想 超人と凡人

ワンパンマン アニメ

サイタマが強すぎるのを眺めて、良い作画を楽しむ作品かと思いきや、人間嫌い感を随所随所に覚える作品。あとは、超人(サイタマ)からみた人間の愚かさを教えてくれる
人間嫌いを感じさせる作品かと思ったけど、サイタマからみた人間の愚かさを描いているだけで、それが醜いから人間嫌いに感じるだけかもしれない
自分がこれを顕著に感じたのは、9話、深海魚とヒーローの交戦中シェルターにいた観客
彼らの投げやりの応援と、収束後の不平不満
あとは、12話、アマイマスクがS級ヒーローに不満をいうところ。これに関しては何と言えば良いかわからない、想像力の欠如とも言えるし、精神の不安定とも言える


自分がこの作品を通して人間の愚かさを感じたということは、無意識のうちに自分も人間のことを愚かで不完全な生物だと思っているのかもしれない
というよりは、合理的であることを完全とするならば、確かに人間は不完全だし、自分もそう思っている
不完全であることに不快感は全く覚えないかと言われれば、少しの不快感はある。不完全であることを理解していても、だ。自分もまた不完全だからか


話をワンパンマンに戻す、ワンパンマンはおもしろい
ワンパンで倒す爽快感と作画を楽しむアニメとなっている、後は超人と凡人についても考えさせられる

負けず嫌いの思考

根本では、負けるわけがないと高を括っている。そのため負けることは予想外であり、そこで起きるズレによって怒り、不快感が生じる。つまり、傲慢であるとも言える
まあ、自分のことを弱い、と認めることが出来る人間は少ない、これはなんか違うな、弱い、と認める必要はない、
自分の相対的な立ち位置を理解していることが重要。ここで過信すると、ズレが起きる
あとは勝負事に関わってくる確率を認識しているかどうか、じゃんけんで負けたからといって悔しがる人はいないけれど、似たような確率のゲームで負けると死ぬほど悔しがる人がいる
こういう人間は目的がそのゲームを楽しむことではなく勝つことになっていることが多い、だから勝てば楽しいし、負けたら楽しくない、のような思考になるのだろう
勝つことの快感を覚えすぎた結果、目的が知らないうちに変わってしまったのかも